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公共交通の発達しているニューヨークなのに
自動車通勤をしないというだけで
大事件のごとく扱われているのをみると、
アメリカの消費社会は奇妙だな
という感を抱かずにはいられません。

スターバックスのコーヒーがどうしても我慢できないとか、
あったかくした部屋のなかで
氷でキンキンに冷やした水を飲むのが幸せだとか、
TVがないだけで大騒ぎとか、
この家族の妻の「限界点」も
ぼく目線には少し妙なものに映ります。

そういった社会への対抗手段として、
(田舎に移って自給自足
〈あるいはそれに近い〉生活を目指すのではなく)
都会生活の中で「全て」を捨ててみるという
「実験」をする夫の行動もなにか妙な感じ。

「全て」を捨てるという
真逆の極端な行動を選択するところもそうですし、
それを手段として何を目指しているのかも
(少なくともこの映画をみる限りでは)はっきりしません。

この映画の原題にもなっている
「NO IMPACT」とは何を意味するのか、
最終的にどのような社会をわれわれは目指すべきなのか、
そういったことが見えてきません。

スクリーンを通して見えてくるのは、
自らが作り上げたルールのもとでおこなう
「ゲーム」に興じる少年のような夫の姿であり、
ぼくには彼が極めて個人的な嗜好によって
それを行なっているようにしか思えないのです。

映画の製作者もそんな印象をもったのかもしれません。

映画は、「変な趣味をもった夫」と
それにしぶしぶ付き合う妻
というパートナー間のもめ事を中心に撮られています。

このような筋の話としてみた場合、
主人公の彼は
「地球にやさしい生活を始めた男」である必要はありません。
たとえばそれが
「街に映画館をつくった男」とその妻の話だったとしても、
通じる普遍的な男女のいざこざの一形態です。

「私はあなたの夢に協力しているのに
あなたは私にちっとも協力してくれない」

なんてどこの男女にもありそうなお話です。

その物語の行きつく先は、
ここまでの話から容易に想像はつくでしょう。
何かを成し遂げたいときには、
パートナーなどの周囲の人間と妥協点をさぐりつつやるしかない、
そんなことを改めて感じさせられました。

"NO IMPACT MAN"とつけられた原題は、
"地球にやさしい男"の「男」の部分に強調があったのだなと
エンドロールを見ながら納得したのです。

(aka_kappa)

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