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2012.01.09 CUT(mirai)
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まるで自主映画のような粗暴な熱。

面白かったかと問われれば、
言葉に窮してしまう。

ではなぜ、
この映画を見放すことができないのか。
あんまり面白くなかったよと
切り捨ててしまうことが
どうしてもできないのか。

映画としての面白さとは異なるところに
この映画が存在していて、
映画にかかわって生きている自分は
ただ鑑賞者(=傍観者)ではいられない、
そういてはいけないとどこかで感じているからだ。

秀二が街頭で叫ぶ演説は
自分に向けられている気がしてならない。
秀二の背後にいるナデリ監督に
お前の映画への熱はどれくらいなんだと
問われているような気がしてならない。

映画は必ず甦ってくる!

その秀二の叫びを聞いた瞬間、
かつて映画で受けたことのない衝撃が走った。
鼓動が逸り、身体が熱くなる。
真の“映画”が甦る。
映画の力を、本気で信じている人がいる。
自分の、映画への思いの甘さを
眼前に突き付けられた気がした。

この映画は踏絵だ。

血塗れになる覚悟はあるか?
—ある。映画を愛しているから。

そう答えることが私にはできない。
映画にかかわって生きているのに。
映画が好きなのに。好きでたまらないのに。
狂気の高みには辿り着けない、
そんな映画好きにこの映画はぐっさり刺さる。
秀二と同じ痛みを感じとることはできない、
だからといって一瞥して素通りすることもできない。
足もとに置かれた踏絵を前に、
ただただいつまでも立ち竦むばかり。

でも、そんな自分の姿も、
この映画を観るまでは知ることがなかった。

中身がなく単調で退屈、
映画狂の独り善がり、
殴られることと映画への愛の繋がりが希薄…
そんな批判的な意見も決して少なくない。
ストーリー、構成、展開、
もはやそんなことどうでも良い。

自分と、映画。

その対峙を余儀なくされること、
それがこの映画の価値のすべてだ。

(mirai)

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