上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第七の封印サブ1

《STAFF REVIEW》
「ベルイマン黄金期」

『第七の封印』

 舞台は十字軍の遠征が終わって間もない頃のスウェーデン。主人公である騎士のアントニウスとその従者ヨンスは、10年にも及ぶ無益な遠征から帰国し、またそこで黒死病に脅かされる祖国と哀れな民衆の姿を目の当たりにします。アントニウスは海岸沿いである存在に気づきます。その存在は自らを「死神」と名乗り、アントニウスの死を宣告しにやってきたと言います。アントニウスは、自身も得意であり、また死神も好きであるチェスの勝負を申し入れます。チェスをしている間は命を奪わない、そしてもし自分が勝てば命を奪わないでくれ、もし負けたら潔く死を受け入れよう・・・これは、ただ単に死を恐れての時間稼ぎなだけでなく、神の存在を確認したいという思いからでした。チェスの戦いは長引き、アントニウスは妻の待つ家に向かいます。その道中で会った旅芸人一家や鍛冶屋夫妻とも一緒になって家へと向かうのですが・・・

 観る前は重々しい映画だと思っていたのですが、意外とそうでもなかったのが驚きでした。いや、もちろん死神にずっと追っかけられてるので明るい話にはならないんですが、まず、最初の「死神にチェスを申し入れる」という発想自体が、何だか突拍子もないユーモアというか、ひょうきんな感じがしませんか?とんちで切り抜けたみたいな。また、その申し出にあっさり乗っかる死神も、だんだん観ているうちに何だか怖いんだか優しいんだか・・・不思議な気持ちになりました。

 また、アントニウスの従者であるヨンスも、いわゆる世捨て人な感じなのですが、彼の口から繰り出される言葉がどうにもちょっと笑えてしまうというか。彼らが目にする世界はどれもこれもおぞましいそれこそ地獄なんですが、逆に地獄の底の底まで行ってしまっているからこそあの不思議な感じが出るのでしょうか。もちろん、登場人物たちの中で最も生命の輝きを感じる旅芸人一家の存在の影響も大いにあるのだと思います。『第七の封印』には、どうしようもないほどの絶望とそれとは正反対の希望が奇妙に同居しているように思いました。ユーモアでもよいかもしれません。
 
その絶望とユーモアが同居していると最も強く感じたのは、有名な最後の「死の舞踏」のシーンです。あのシーンの、何とも言えない感覚。死神が先頭に立って彼らを引き連れているので、「ああ、死ぬんだろうなあ」というのは想像がつくわけなんですが、それなのに何故か少しおかしな感じがしてしまう。何というか、彼らは彼らなりに死と向き合い(事実、死神とチェスを続けることでずっと死と向き合ってきた)、彼らなりの「神」の存在をやっと見つけられたのかなあ、なんて考えてしまいました。じゃあ、良かったんじゃないかって。死神、よく待ってくれたなと思いました。

 最後に、「死の舞踏」のシーンを観て、ある一本の映画を思い出しました。それは、去年当館でも上映した『ローリング』です。『ローリング』で権藤先生や貫一が山に向かって列をなして歩いているシーンがあるのですが、それが「死の舞踏」のシーンと同じく引きのショットで撮られているんです。あれ?もしかしてオマージュ?かと思いました。そんな風に観てみるのも面白いかもしれません。
(肥田)

『第七の封印』
2/2(火)
14:30~(火曜日レディースデー)
2/4(木)
14:30~

以上のこすところ2回のみです。
お見逃しなく。


Secret

TrackBackURL
→http://motoei.blog.fc2.com/tb.php/812-33f6a3af
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。