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愛が、牙を剥いて襲いかかってくる。

噴き出す汗で衣服を貼り付かせた中村映里子が吠えて、吠えて、吠えまくる。そ
の姿にとにかく圧倒されっぱなしだった。積年の恨みに吠えているのか。愛を
求めて吠えているのか。持て余した感情が薄い身体を、細い首を、小さな肩を突
き破って濁流のように流れ出してくる。その洪水に飲み込まれながらも、彼女
の一挙手一投足から片時も目を離せないでいた。乱れた髪も、骨が浮いた胸元
も、意外と無骨な指先も、強い瞳も、小さな唇も、吠えるごとにその輝きを増
すようだった。手負いの獣が放つ生の閃光のような、その正体は野生の、剥き出
しの愛なのだった。

かつて自分と母を棄てた暴力的な父親と再会する娘。シャブ中になり自暴自棄に
生きる妹と再会するチンピラの兄。誰より大切な友人を亡くした少女。この映
画にはわざとらしいほどにドラマチックな設定が溢れている。日常淡々系にもも
はや食傷気味であるが、だからと言ってこれはないだろう。最初はそう思って
いた。ところが、観ているうちにこの設定やストーリーに意味は無いのだと思え
てきた。中川龍太郎監督の描きたいのは、“感情”ただそれだけなのではないだ
ろうか。設定やストーリーはその感情の発露のために必要なただの舞台装置であ
り、それは別の形であっても“感情”の表現が達成されるのであれば問題はない
ように感じられた。そしてその“感情”は、映画制作のために創作されたものとい
うより、監督自身の非常にパーソナルな部分から発せられているという気がす
る。この映画に描かれる“感情”は、それだけ生身の熱を持っている。依り代と
なった登場人物を通して創作者の叫びが聞こえてくるようで、強く胸を打たれ
たのだった。

拙さの残る作品であることは間違いない。でも、それも設定やストーリーと同じ
くらい意味の無いものだ。中川龍太郎監督には今後も、自身の感情を表現する
作品を作ってほしいと心から思う。もっともっと観せてほしい。人の感情でしか
揺さぶることができない場所が、誰の心の中にもあるはずなのだ。

(mirai)

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