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それは、初めての体験だった。

5時間17分という規格外の長さに怯み、最初はとりあえず第1部だけ観ようと思ったのだった。あまりに続きが気になる第1部の終わりを迎えた瞬間、第2部を続けて観ることに決め、結局そのまま第3部まで一気に観てしまうこととなった。
第2部、3部と進むにつれ、あかり、桜子、純、芙美の4人はもはやスクリーンの中の人ではなくなっていた。それは私のよく知っている人たちであり、友人であり、親友であり、「純ならいつかやると思ってた!」「私も昔、あかりにこうやって怒られたことあるわ〜」と奇妙な既視感に包まれ、もはや映画と自分との距離が近くなるどころか無くなっていることに気づいて心底驚いたのだった。

5時間17分、休憩を挟むと実に1日の1/4にもなる時間を費やしたのに、不思議と疲れはなかった。長い映画を観たというのではなく、気のおけない相手となら何時間でも一緒に過ごせるように、あかり、桜子、純、芙美の4人とそれだけの時間を一緒に過ごしたという感覚だけだった。終わったときには寂しささえ感じた。まだまだ一緒にいたいのに、しゃべっていたいのに、もうサヨナラの時間になっちゃったなんて。

これは一体、どういうことなんだろう。観終えて(実はすでに2回観た)何日経っても、まだ私の記憶には4人がそう古くない友人のような位置を占めている。もう少し経つと、きっと「久しぶりにあの子たちに会いたいな」と思ってまた劇場のシートに身を沈めることになるのだろう。映画が終わっても、彼女たちとの関係は終わっていない。この話の続きを、彼女たちからまたいつか聞けるような気さえしている。職業柄たくさんの映画を観る機会に恵まれてはいるが、こんなことは生まれて初めてだ。

ひとつには、やはり5時間17分という時間があるのだと思う。映画というのは、当然ながら観客の持つ時間とは別の時間軸で展開するものだ。『ハッピーアワー』も例外ではなく、彼女たちの「5時間17分」を描いているわけではない。でも、濱口竜介監督が「これ以上は短くできなかった」と話す通り、これが2時間の映画であったならきっとこんな感覚は得られなかっただろう。まるでノーカットのように思える、彼女たちが参加するワークショップや朗読会のシーン(傑作と名高い『親密さ』でも舞台劇を丸々劇中に収めている)。そこで私たちは登場人物と時間を共有することにより、観ている者という枠組みから外れて一緒に過ごしているのと同等の体験を得られるのだ。

どうか、5時間17分という時間を、この映画を観ない理由にしないでほしい。というか、それが観ない理由だとするとあまりにもったいない。これだけ距離が無くなってしまうと、この映画が「良い」かどうかということがもはや私にはわからない。ただ、唯一無二と言って良い「特別な存在」になったことは確かだ。5時間17分(6回も言った)で大切な親友4人と出会うことができた。街で偶然彼女たちを見かけたら、うっかり役名で呼びかけてしまいそうなことだけが心配だ。気をつけなければ(何せみなさん関西在住なもので)。

(mirai)

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