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本作を監督したアニエス・トゥルブレとは、まさにファッションブランド「アニエスベー」の創設者のこと他ならない。彼女の映画に対する情熱は、かねてから有名な話であった。映画の衣装デザインはもとより、自身のブランドでアンナ・カリーナをテーマにしたアイテム展開や、ハーモニー・コリン作品のプロデュース。その活動は枚挙にいとまがない。そして近年では「ビデオ日記」なるものをつけていて、日頃からカメラに触れているという。『わたしの名前は…』は満を持しての監督デビュー作なのだ。


果たしてアニエスは、映画をどのように仕立てるのかー。


あえて「服」で例えてしまえば、一目では不釣り合いな(異なった)素材をパッチワークして、一つの世界観に落とし込められた洋服、といったかんじではないだろうか。これはファッションブランドとしてのアニエスベーのイメージとは異なる。アニエスベーの個人的な印象は、簡潔さと高品質だ。しかし本作はそういった「洗練」とは縁のない、反対に(ここが本作の大きな魅力なのだが)粗々しさが目立つ。なぜそうなるかと言えば、はじめて撮った作品だから、と言えるが、それだけに話を収めてしまうのは惜しい。映画づくりに小慣れているかどうかよりも、ファッションデザイナーの気質に由来していると、ここでは考えたい。


どうもアニエスの目には、映像が、洋服づくりにおける布や糸同様「素材」として映っているような気がする。もちろん素材であることに間違いない。当たり前の話だ。しかし他の者よりも素材に対する気負いがないというか、素材は素材に過ぎないというある種の楽観視が、アニエス(ファッションデザイナー出身者)特有のものだと感じる。この独自のスタンスが最終的には先述の「粗々しさ」に繋がるのだが、重要なのは映像に対して自由な発想をもたらしていることだ。例を挙げると、いやでも気になる映像を必要にストップさせる演出。まるで遊んでいるかのような、豊かな感情が画面に溢れている。


などと書いていると、そもそも、素材をどう調理するか以前、素材づくりも行っていることを思い出す。粒子の粗い映像になったり、本作の制作過程でカメラを都度チェンジさせていることは言わずもがなだろう。一部ゲストカメラマンとしてジョナス・メカスが撮影しているらしいが、本作は撮影もアニエス・トゥルブレとクレジットされている。


これほど自由なつくり方をしているのに、だからと言ってストーリーが破綻せず、しっかりと構成されているところが、本作のまた良いところだ。アニエスは独りよがりな演出に終始するアーティストではない。ここに映画に対する畏怖のようなものも見て取れるのではないだろうか。着れない洋服は、洋服ではない?のだ。


(斉藤)
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