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「JAPAN NEW WAVE」という冠が
ここまでぴったりとハマる監督がこれまでにいたでしょうか!

今回ご紹介するのは五十嵐耕平監督の『息を殺して』。

東京藝術大学大学院修了作品であり、
第67回ロカルノ国際映画祭の新鋭監督コンペティション部門に
正式出品された作品でもあります。

新たな才能を発掘、応援することを目的とした企画
「JAPAN NEW WAVE」で数々の新鋭監督を紹介してきました。

が、その中でもこの『息を殺して』には明らかに異質な匂いを感じます。


他の監督といったい何が違うのか。





この作品を観て、みな口を揃えて言う言葉は〈浮遊感〉。

この地に足つかない鑑賞後の気分は
おそらく説明を極力排したミニマムな語り口によるものです。

この作品では若手監督に珍しく、
積極的に引き算が施されている印象を受けます。

例えば、

劇中の会話の中でけんくん(見たところ20代)の
友人が「入隊して死んだ」ということが分かります。

それ以前のシーンで時が2017年の大晦日と示されているので
この映画は今からわずか2年後の設定ということになりますが、

若者が戦死したという情報から現代から状況は一変しており
『息を殺して』独自の世界が築かれていることを観客は汲み取ります。

このように与えられる情報は断片、カケラのようなものですが、
その小ささ故、想像力を刺激する仕組みに本作はなっています。

これは小説を読んでいるときの感覚と少し似ていて
脳内でおぼろげですが無限のイメージが
広がっていくようで、それ自体はスリリング、
映画の空気感とは反対にこちらのテンションは上がっていきます。


また五十嵐耕平監督が他の監督と一線を画す理由は
物語を語ることに懸けていないところにもあると思います。

監督は映画がドラマチックに展開していくことよりも
人が抱える言うに言われぬ感情に関心があるようです。

それが端的に表れるは死者と邂逅するシーン。

映画ならではの展開でもあるし、
見てはいけないものを見てしまった登場人物の反応が
我々からすると気になるところではありますが、
そのホントに直後、交わされる話題はラーメンなんです。

「◯◯ラーメン、あそこのラーメンはまずい」

まるで、劇的になることを拒んでいるかのようです。


それともうひとつ箇所を挙げるとすると、
大晦日にサバゲー(サバイバルゲーム)をするシーンになります。

このシーンはストーリー的には必要ないとも言い切ることができます。
しかし、作品のムードを決定づける最も重要な場面のひとつです。

彼らは藪の中で銃を片手に見えない敵と戦います。

それはサバイバル“ゲーム”であるはずなのに笑顔はありません。
まるで戦争の再演をしているといった具合です。

見事な演技で若者たちは撃たれ、
バタバタとリアルに倒れていきます。

ペイント銃ではないので観客からすると撃たれた判断をしかねるし、
やっている本人たちにも分かるのかな
とサバゲー未経験の私からすると疑問が残りますが、

これらの何とも言えない不思議な感覚が
『息を殺して』の醍醐味と言えます。

このサバゲーシーンの名台詞、
戦場でのプロポーズもそれに一役を買っています。

その渇いた言葉は(というより渇いた人間は)
どこか浮世離れしているように感じますが、
同時に現代を象徴しているようでもあるのです。


そして映画は結局ラストに至るまで登場人物の抱える問題も
すっきりしないまま幕を閉じます。

それは前述の通り、物語に起承転結なんてものを
はじめから目指していない作風なので、
反感のようなものは全く感じないでしょう。

それがなくとも、ひとつひとつのシーンを描く五十嵐耕平監督の
類い稀な筆力が、作品の吸引力となっているので、
多くの人が『息を殺して』の虜となってしまうのです。

(斉藤)
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