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アルゼンチンの監督リサンドロ・アロンソの『約束の地』を
みなさまよりも、一足先に鑑賞しました。

撮影はアキ・カウリスマキ作品でお馴染みのティモ・サルミネン。

そして主演は現在当館で上映中の映画『涙するまで、生きる』でも
主演を務めるヴィゴ・モーテンセン。
彼はなんと、本作で製作、さらには音楽まで手掛けており、
触れ込みにある通りですが
「ヴィゴが全身全霊を捧げた作品」となっております。

カンヌで国際映画批評家連盟賞を受賞した
意欲作がついに元町映画館で9月26日より公開となります。





上記の予告編映像からもお分かりいただけるように
本作が特徴的なのは
四隅を丸くした変形スタンダードとパタゴニアの広大な地が織りなす
印象的なビジュアルイメージ。

私はこれを観た瞬間、
この作品は作者の独創的な感性から撮られたアートフィルムであり、
新しい価値観を好む映画ファンの飽くなき好奇心を満たしてくれる映画にちがいない!
と鑑賞する前から期待せずにはいられませんでした。

ですが、その期待は、ある種の「戸惑い」を含みつつ、
叶えられることとなります。

本作は前述の言葉では表せれないレベルでの
特異さを携えた「怪作」だったのでした。



そうした作品に出会った時、人は戸惑ってしまうのだと思います。
「すごいものを見た気がする」としか言えない複雑な心境。

その理由は本作の「寡黙」すぎる語り口にあると
映画鑑賞後、しばらく経った今だからこそ言えるかもしれません。


ストーリーを引用します。

1882年、パタゴニア。
デンマーク人エンジニアのディネセン大尉(ヴィゴ・モーテンセン)は、
アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦に参加していた。
ある日、彼の一人娘インゲボルグ(ヴィールビョーク・マリン・アガー)が、
海辺の野営地から忽然と姿を消す。
必死に捜索するディネセンだったが、
思わぬ障害や険しい地形に行く手を阻まれてしまう。
やがて、乗っていた馬を失って広大な荒野で孤立したディネセンは、
一匹の犬に導かれるように、摩訶不思議な世界にさまよい込んでゆく……。
(Movie Walkerより)


ストーリーの紹介文には
摩訶不思議な世界と書かれていますが、
精神的な世界と言い換えることができると思います。

現実と幻想の境目が判別つかなくなってくる映像は
主人公の深層心理を表現していると私は思いました。

こういった類の展開はアンドレイ・タルコフスキーの
『ストーカー』を彷彿とさせます。
(犬の使い方も似ていて、オマージュらしきシーンも見られます)

話はそれましたが
先ほどの戸惑いの理由を「寡黙」とした所以、
それはこの映画の大部分を構成する
「(ヴィゴ演じる)ディネセン大尉が娘を探し、荒野を彷徨う」描写の
尺の長さによります。

所謂スリリングな展開を追求した映画では何十秒かで済ませてしまう描写に
この映画は何分もかけます。
この間、セリフによる描写も多くはありません。
ただただ、画面の端から端までを移動する
ディネセン大尉を目で追うことしか我々にはできません。

この状況から私は寡黙であると判断しました。

ただし台詞が少なく、ゆっくりとした展開であれば
寡黙であるとは一概には言えません。

そういった作風でも多くのことを語りかけくる
雄弁な作品はあります。

なので寡黙としてしまうかどうかの判断は
実は観客によるところが大きいです。

残念ながら(?)
私は簡単にはこの作品の行間に
意味を見出せすことは難しく
戸惑い、不安になってしまったのです。

この『約束の地』という作品の寡黙さを前にすれば
映画と呼ばれているものはそもそも映像の集合体であり
言語や音声と同じように単なる情報にすぎないことを
意識せざるを得ません。

ひとたび情報という大きな枠組みでこの作品を俯瞰してみれば、
この寡黙な作品は極端に情報の少ない作品と言えます。

私の戸惑いの理由をもう少し掘り下げてみると
映画(情報)を観に(摂取しに)来たのにもかかわらず
情報が少なかったために面を食らってしまったから
と言えるでしょう。

例えば何もない真っ白の空間。
極端な例ですがこのような空間に突然、投げ出されたとき
居心地の悪さを感じてしまうであろうことは
誰しもが共感してくれると思います。

人間は想像以上に、情報に囲まれ生活し、
また情報を希求しています。

それがなくなった場合、
どうなるかと言うと
半ば諦めのつかぬまま、
自分と向き合わざるを得なくなります。

私は映画を鑑賞しながら
これと似た状況におかされていました。

それはまさに
劇中のディネセン大尉が体験していること
そのものなのではないでしょうか?

娘の失踪の理由を思い巡らし
歩いても歩いても
手がかりはない。
やがて孤独感に苛まれてゆく。

終盤、老女の声で提示される哲学的と言える「問い」
「・・・・・・・・・・・?」
(ここは劇場でお確かめいただけたらと思います)

これは、孤独な旅の行く末にみた
主人公自身の内なるの声なのだと私は思います。

そして我々観客が
主人公と共に歩いた映画のラスト。

およそ10分間の
恐るべき急展開をどう解釈すべきなのでしょうか?

『約束の地』は勇気をもって鑑賞していただきたいです。

(斉藤)
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