上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
予告編



副題にある通り、単に音楽の一ジャンルを描いた映画ではないし、
また「麻薬戦争」の全体像を記録しようという映画でもない。
描かれるのは国境線「南北」のふたつの街の生活と文化である。

南の町、メキシコのシウダー・ファレスは人口百万、
麻薬利権を争うギャング達の抗争で年間3000人が死亡、
その多くは「巻き込まれ」被害であるという。
殺人事件の99%は未解決のまま、すなわち事実上お咎めなし、に終わる。

国境を北にわずかに超えたアメリカの町エルパソは、
ほほ同規模の人口に対して年間の殺人事件は5件で、
これはアメリカでは最も低い数字にあたる。
街を支配するのは、退屈と閉塞感。
ライブハウスは刺激を求める人々で今日もいっぱいだ。

minagorosi_2.jpg

麻薬王たちの讃歌、ナルコ・コリードは暴力的イメージが売り物の
新しい音楽ジャンルとして北の町で歓迎され支持されているが、
その本来の発祥の地、南の町では禁じられている。
麻薬王たちは自分達の名前が歌詞に残されることを願ってスターたちの創作に協力し、
スターたちは「手にはカラシニコフ、肩にはバズーカ」のファッションで
ライブハウスで熱狂的な支持を集め、さらにビルボードへのランクインを目指し、
ここに生産と流通と消費が完成される。

minagorosi_1.jpg

芸術や音楽が、現状への不満が暴力的なイメージに仮託して表現しようとする
傾向のあることは、過去にもふつうの現象であった。
しかしこの、ナルコ・コリードの場合のような、
暴力とその犠牲者を消費して肥大化する芸術表現は、その名に値するのか、
退廃の名の下に許容されうる範囲なのか。

暴力と破壊のイメージは、常に力強さと同時に危うさを背負っている。
表現というもののあらゆる領域にかかわりのある皆さんとご一緒に、
観て考えて見たい作品である。

『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』公式サイト→

(堀)
Secret

TrackBackURL
→http://motoei.blog.fc2.com/tb.php/756-e16867bd
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。