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『フルスタリョフ、車を!』はカンヌ映画祭に出品されたとき、
審査委員長だったマーティン・スコセッシに
「何が何だかわからないが、すごいパワーだ」と云わしめた。

この映画を一言でいうなら「混沌」である。

ジャック・タチの『プレイタイム』のようなギャグの応酬に、
クストリッツァの『アンダーグラウンド』のようなゴチャゴチャ感を併せ持つ。
登場人物はすべてスラップスティック調で、受けようが受けまいが観客は置いてきぼり状態。

この小さな無数のギャグに私たちは応えねばならないのか?
いや、応えられるのか?

全ての部屋が過剰な装飾を施され、
完璧主義者のゲルマンは小道具にも本物を求めたと言われる。
家中の装飾の肖像写真、胸像、等々…を理解するのはちょっと私には不可能である。
というわけでスコセッシのように
「何だか理解不能だが、何か凄いものを観た」となるわけである。

と言っても、全くストーリーも何も無いわけではなく、
スターリンの大粛清が始まった時代。脳外科医にして赤軍の将軍であるクレンスキーが、
KGBによるユダヤ人医師の迫害計画「医師団陰謀事件」に巻き込まれるが、
持ち前のパワーと生命力で何とか乗り切り、最後にはマフィアのボスになる。
と、ストーリー的にはそれほどややこしくない物語だ。

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ちなみに『フルスタリョフ、車を!』という題名は、
当時スターリンの側近にして「血の大粛清」の担当者だったベリアが、
スターリンが息を引き取った時に発した言葉であり、
フルスタリョフというのは当時のスターリンのボディガードの名前である。
映画の終盤、スターリンの最期が描かれるが、主人公と絡む場面でもギャグは欠かさず、
ゲルマンはここでも笑い飛ばすのである。

アレクセイ・ゲルマンの『道中の点検』以降の長編5作品は
最初の3作品と後の2作品に別れる。
それは「検閲」や「上映禁止」というキーワードが多分に関係しているだろう。
その間(あいだ)にあるのはやはりゴルバチョフのペレストロイカである。
ペレストロイカが始まったのは1985年からで、
その後の91年のソ連崩壊へとまっしぐらだった時代である。
そこに線があるとしたら、最初の3作品は抑圧された作品であり、
そして検閲のなくなった後期の2本『フルスタリョフ、車を!』と
遺作『神々のたそがれ』は本当に撮りたかったように撮った作品ではないだろうか。
タルコフスキーは亡命したが、
ゲルマンがこれほどソ連に不満を抱いていたにもかかわらず、
亡命しなかったのは(直接亡命に言及はしていないが)インタビューなどを見ると
「ロシア人が大好きでたまらない」という感情があふれている。
そう、『フルスタリョフ、車を!』の主人公クレンスキーのように、
どん底に落ちても国を捨てる事はしなかったのだ。

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遺作となった『神々のたそがれ』を観れば
『フルスタリョフ、車を!』は実は『神々のたそがれ』の前哨戦だったのではないか?
と私は思う。

(おもしろ)

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