上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
注意:以下、作品のストーリーや結末に触れている部分があります。
映画をまだご鑑賞でない方はご注意ください。


buddamauntain_talk_1.jpg

12/1(日)に開催した『ブッダ・マウンテン〜希望と祈りの旅』
スペシャルトークの報告です。
「悼むこと、祈ること―現代中国の場合—」と題して
濱田麻矢神戸大学準教授がお話くださいました。


★なぜ、成都(四川省の省都)が舞台に選ばれたのか?

ほぼ全編が四川でロケされている(会話は四川弁ではなく標準語が使われている)。映画は2009年という設定で、2008年5月12日の四川地震の1年後である。2008年7月14日の時点で死者69197人、行方不明者18222人。校舎の倒壊が6898棟、校舎の倒壊による教師と生徒の被害は全体の1割を超える。これは手抜き工事による人災の疑いが濃いと言われている。(余談だが、アイ・ウェイウェイが作った《彼女はこの世界で7年間楽しく暮らした》という作品は、子供達のランドセルを使ってこの文字を書いたもの。言葉は、娘が犠牲になったある母親のもの)
人が死ぬこと、悼むことをテーマとして撮るときに、リー・ユー監督は、この地を舞台にすることを考えたのであろう。ユエチンの息子が、地震と同じ日に自動車事故で亡くなったとしたのは、地震で死んだという直接描写は、当局が難色を示すと考えたのかもしれない。リー・ユー監督は、ユエチンが息子の死を悼むという個人的な形で描いているが、同時に多くの犠牲になった子どもたちへの思いを重ね、それが手抜き工事のせいであることへの静かな異議申し立てをしているようにも見える。


★劇中うたわれる京劇「白蛇伝」について

「白蛇伝」は、中国人なら誰もが知っている有名な伝説。白蛇の精だった素貞は人間の許仙に恋をし、息子を授かるが、人と異類との婚姻を許さない僧に夫婦仲を裂かれ、子どもと引き離され石塔の下に鎮められるという話。我が子と別れの場面でうたった歌を、ユエチンは、ナンフォンが去って失意のディンボーに歌って聞かせる。「本当に感動的でしょ!」と彼女は言う。
ユエチンが、若い3人と疑似家族のようになっていく時に、初めて彼女が「息子」と口に出した後歌われるこの歌には重みがある。「息子の顔にほおずりし、息子の頬に口づけを…こぼれ落ちるは玉の涙」
その他にも、太っちょとは、手相を見るシーンで、ユーモアをまじえて、彼と親しくなった雰囲気を表しているし、ナンフォンとは、彼女が泣いてユエチンのベッドに来た時には疑似母娘のように慰め、寝かしつけている。
ユエチンは経済的には裕福なのに、部屋を貸すことにしたのは、お金のためではなく、《喪の仕事》のひとつとして、他者を受け入れる一歩としたのでは。

buddamauntain_talk_2.jpg

★観音山について

実際にある場所で、長江の支流のひとつが流れているところ。
ユエチンたちは、壊れた観音廟の修理を手伝い、僧の師父であるミイラを見る。その僧との会話で、ユエチンの心は開かれ、滂沱たる涙を流す(三人の若者と自宅でおもしろおかしく過ごしたこと、ディンボーたちに車のキーを渡したこと、《息子の恋人》とも和解したことが回想シーンで挿入される)。そして翌朝彼女は山を登り、消えて行く。


★その他(謎も含め)

重要なモチーフの一つである鉄道でディンボーの父が働いていること。ディンボーたちが《ただ乗り》をしてみたり、線路に列車が来るギリギリまで寝て《心中ごっこ》をしたりするのは、父(の世代)への反抗心も反映されているかもしれない。全体に、3人の若者のいたずらは無鉄砲な世代の不安やいらだちの行為に見える。
ナンフォンが自分の頭にビール瓶をぶつけたり、アル中の父の前でおもいっきり酒をあおったり、自分への暴力行為を繰り返すのもしかり。
ナンフォンとディンボーが結ばれて水の中に沈んで行くシーンは、単なるハッピーエンドとは思われず、枕木の上での心中ごっこの延長やダム工事で沈んだ長江の街など、「死」を暗示するイメージに満ちている。
深読みを誘う映画なので何度も見てしまう。自由だと言われている国でも、さまざまな制約があるので、作家はそこでたたかっているはず。

いろいろ面白い質問、感想が出ましたが略。
(かなり書き手の主観が入っています)

濱田さん、どうもありがとうございました。

(岸野令子)

Secret

TrackBackURL
→http://motoei.blog.fc2.com/tb.php/445-74ca891d
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。