上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
gingernoasa_talk.jpg

『ジンジャーの朝 〜さよなら、わたしが愛した世界』初日の11/30(土)、
大阪府立大学教授で詩人でもある細見和之さんにお越しいただき、
「生きることと詩を書くこと」と題してトークをしていただきました。

ジンジャーたちが生きていた1960年代というのは
米ソの冷戦の緊張が極度まで高まり、
「本当に、第三次世界大戦が起きるかもしれない」
という状況。

家族の痛々しい問題と
キューバ危機の時代を合わせて描くことで、
世界から過敏に影響を受けてしまう思春期の戸惑いを
鮮やかに映し出しているこの作品を観て、
「想像よりも重い映画だった」と細見さん。

細見さんご自身も、大学に入ったとたんに
周りに溢れる言葉に翻弄されもがき苦しんだと話します。
それは、大好きな親友、父親、母親、世界を滅ぼす核戦争など、
自分を取り巻くありとあらゆるものの理不尽さに苦しんでいる
ジンジャーの姿とぴったり重なります。
いつも一緒でまるで自分の分身のようだった親友と
少しずつ見ている世界がずれ始めたとき、
ジンジャーは「詩」を書きはじめます。
それは最初、ある意味口真似でした。
ラジオから流れる言葉、集会で語られる言葉、大人たちの言葉。
そんな言葉たちに惑わされ、振り回され、傷つけられながらも
ジンジャーは“自分の言葉”を探し求めて詩を書き続けます。
「うっ」という呻き、「ちくしょう」という叫び。
それらを「言葉」に拡げて詩にしてゆく、
それは「自分の言葉を手がかりにして世界と向き合うこと」なのだと細見さん。
細見さんにとって、言葉で書くということ=自分の存在証明だと話します。

さらにこの時代と詩との関係を、
私たちもよく知る歌を引用して解説してくれました。
その歌とは、サイモン&ガーファンクルの
「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」、
そしてボブ・ディランの「はげしい雨が降る」。
これはどれもキューバ危機の時代に若者が作った歌で、
音楽の授業で習ったり、TVで流れたり、どれも耳にしたことがある名曲です。
聞いたことはあるけれど、その歌がどんな意味を持っているかは
私はちっとも知らなかったし、考えたこともありませんでした。
日本語に訳された歌詞を配布し、まず細見さんが読み上げます。
その後CDをかけて曲を聴きます。
耳慣れたメロディ。
一緒に口ずさむことだってできる。
でも、見えてくるものが今までとは明らかに違っていました。
「ボブ・ディランは世界の状況を自分の痛みとして表現している」
と細見さんが話すように、その詩を書いた、書かずにはいられなかった思いが
こうしてこの曲を聴いて初めて浮かび上がってきました。
そしてそれはジンジャーが詩を書く理由そのものであり、
ジンジャーが詩を通じて世界と対峙する痛みが改めて伝わってくるようでした。

映画のラスト、ジンジャーが静かな表情でノートに書き付ける詩。
細見さんは「滅びゆく世界をどう生きるか」という希望と未来を感じたそうです。
同時に、震災や原発事故、この映画が抱える問題は
決して過去のものではなく、いまも同じなのだと話します。
私たちは「大人」と呼ばれる年齢になったいまも、
外部からの影響は敏感に感じ取っても
自分が与える影響については無頓着でいすぎるかもしれません。
「大人のメッセージはティーンエイジャーからどう見えてるか?」
そのことを大事に考えたいと細見さん。
あまりに身近な「言葉」というツールが世界を構築してゆく、
そんなことに気づかされた時間でした。

『ジンジャーの朝』は12/13(金)まで元町映画館で上映中です。
ぜひ、いろんな世代の方に観ていただきたい映画です。

細見さん、ご参加くださったみなさま、どうもありがとうございました!

(mirai)

Secret

TrackBackURL
→http://motoei.blog.fc2.com/tb.php/443-842d4cce
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。