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注意:以下、作品のストーリーや結末に触れている部分があります。
映画をまだご鑑賞でない方はご注意ください。



papa_tree1.jpg

映画の冒頭、建物が移動するちょっと不思議な光景に驚かされる。
砂漠の広がるオーストラリアではよくあるのだろうか、
パパの仕事は大工で、建物を現地で建てるのではなく、
作ってから必要な場所に大きなトラックで運ぶのだ。

この最初のシーン、映画のテーマを暗示しているように思えた。
すなわち、家=家族も永遠に同じではない、ということ。

パパは仕事の帰り、突然の心臓発作で
家の隣に立つ大きな木にトラックをぶつけて亡くなってしまう。
残された妻と三人の子供。
他に姉妹がいない家族で、
パパと娘はお互いにとって特別な存在だった。
まだ幼いからこそ、娘にとってパパは恋人のようなもの。
すると当然、母とは同志でありライバルになる。
映画は、娘と妻の視点で進んでいく。

パパがぶつかった木にパパの魂が宿ると信じて、木に語りかける娘。
一方、悲嘆にくれていた母は必要に迫られ、水回りのリフォーム店で働き始める。
この出来事の始まりも暗示的だ。
ある日、トイレの管からカエルが侵入してくる事件が起きる。
配管の調査を頼みに行ったのが、母が働くことになるリフォーム店。
店主は家を見に来て、原因は木の根が伸び過ぎ配管がやられているせいだと言い、
引越しを進言する。

家(家族)にとって、あまりにも大きな存在である木(父)。
そのせいで立っていられなくなる家(家族)。
そこに手を差し伸べる者が現れ、母は彼と急接近するが、
娘は木=父を否定し、移動を強いる彼をどうしても受け入れられない。
娘はとうとう木の上で生活するようになる。

紆余曲折を経て、映画のクライマックスに大きな嵐がやってくる。
それまでかろうじて立っていた木と家は崩壊する。
しかし、家族はむしろ結束を強め、
嵐のあとにはみんな清々しい顔をしている。

ここで、もう一つのテーマに気づく。
すなわち、住むところ、家が変わっても、
家族の絆は変わらない、ということ。

大人でも、物に執着してしまうことってある。
小さい子供ならなおさら、
木を切ることが父の面影を絶ってしまうように思えたり、
家を移ることがそれまでの大切な家族を変えるように感じてしまう。

娘は、不可抗力である嵐により、
そのものがなくなってみてはじめて母の言う
「パパの思い出を胸にしまって 私たちは生きていく」
という言葉を理解し、自分の気持ちにケリをつけることができた。
そう、そのきっかけは、他人が作ることはできない。
いつか自分自身で納得するしかないのだ。

(S/N)
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