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難病で余命わずかの美少女…
という時点で
かなーり腰が引けていたのだが、
(“死”をエンターテインメントとして
観て楽しむ感性は私にはない)
スクリーンに映るその少女は
被害者意識のカケラもなく、
生意気すぎるクチを持つ
反抗期まっただ中の
普通のティーンだった。

“病人”という枠の中に
閉じ込めたい父をよそに、
テッサは人生を精一杯生きるために
「やっとかなきゃなんないリスト」を作り
親友とともにせっせと街を徘徊する。
リストの内容はなんともバカげているが
これこそがリアルな十代目線だ。
だって誰だって10代の頃は
タバコを吸ったりお酒を飲んだり
夜遊びしたり万引きしたり
不純異性交遊したりという
他愛もないことに憧れたりした。

そうじゃなかった大人(いるのか?)や
ほんとはそうだったことを
忘れてるフリをしている大人には
きっと響かないのだろうけど、
このリストのバカげ具合がなんといっても
この映画の最大の魅力なのだろうと思う。
父の小言をテッサとともにうっさいなーと思い
やれやれ、もっとやれ!という気持ちにさせる。

もうひとつの大きな魅力は、
末期がん患者であるテッサを
気遣う様子を決して見せない
親友ゾーイと弟キャルのキャラクター。
ゾーイはテッサを全速力で走らせたり
余命わずかだというのに
些細なことで喧嘩したりするし、
無邪気すぎるキャルに至っては
テッサが死んだらまた旅行に行ける?
と父に尋ねたり(テッサの前で)、
死んだらテッサは
自分に取り憑くのではないかと怯えたりする。
そんなふたりにテッサは救われている。

“病人”というレッテルを貼らずに本人として扱う、
これって実はけっこう難しい。
弟は幼く無邪気で馬鹿なので仕方ないが、
親友としてゾーイは見上げた根性を持ってるなと
感心してしまった。

恋に落ちるアダムとのエピソードは
今まで過ぎるほどに語られてきた話でもあり
特に新鮮なこともないのだが、
リストのひとつ「有名になる」を
アダムが実行した場面では感動してしまった。
なんて素敵なの!やるな、アダム。

そしてベリーショートのダコタ・ファニングは
もんんんんんのすごく可愛くて
(だから観たいと思ったのだった)
さらにファッションも超キュート。
映画の冒頭から、
真っ赤なタイトミニのワンピースに
ラメのタイツにコンバース!
そんなところもリアルに楽しめる。

死の近づいたテッサは、
今度は愛する人たちの
“その後”の道をつくろうとする。
自分の死後まで考えられる、
それは不運ではあるが決して不幸ではない
晩年なのじゃないかと思った。

(mirai)

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