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まず思ったのは、
一本の映画をつくるということに対して
これほどたくさんのプロフェッショナルたちが
力を合わせているんだな、ということ。
映画マニアならいざ知らず、
“撮影監督”なんて、意識したことも
その名を心に留めたこともないだろう。
でも映画の「画」をつくりだしているのは彼らなのだ。

いま目の前にある光景が
どのようにフィルムに焼き付けられているのか?
それは監督ですら想像がつかないと言う。
撮影監督のみがその結果を知っていて、
翌日届けられるラッシュフィルム上映は
魔法を見る瞬間なのだという言葉が
すごく素敵で映画的で印象に残った。
(ま、一方で、ラッシュを観る瞬間は最悪だ、
ピンボケが発覚しても今さら手の打ちようもなければ
やり直しもきかないしと話す人もいたが…笑)

私はフィルムが好きだ。
映像に手ざわりが感じられるけれど、
それは絶対的に現実とは異なるものだからだ。
物語を語るのにこれほど適した素材はないと思う。

だから、映画の「デジタル化」には
あまり良い気がしていなかった。
嘆いていたと言っても良い。
この映画についても、
ハリウッドからのデジタル化推進映画だと
観るまでは思っていた。

ところが観てみると印象がちがう。
名だたる大監督たちが、
デジタルで映画を撮るということを
まるで少年のようにキラキラした瞳で
ワクワクしながら語っているのだ。
そうか、彼らにとっては新しい技術というものは
今まで閉じられていた扉を開いてくれるものなんだ。
自らの作品の可能性を広げるものなんだ。

それを見てしまったら、
「やっぱり映画はフィルムじゃないと」
なんて思ってた自分は、
とてもつまらないことにこだわって
意地を張り続けていたような気さえした。

時代は移り変わる。
技術は革新を続ける。
重要なのはそれをどう扱うか、なのかもしれない。
問題はフォーマットの変化とは違う場所にある。
そういう風にこの映画から感じられたこと、
それは映画に関わる仕事をしている自分が
“本当にデジタル化を受け容れた瞬間”
だったのではないだろうか。

だからと言って、大手を振って
ウェルカーーーーーーーーム!!!
と言い切れない部分も残る。

映画のデジタル化への、
私の偏見を取り除いてくれたのは
先にも書いたが“大”監督たちだ。
フィルムの時代から映画をつくり続けていて、
フィルムで撮ることの素晴らしさも大変さも
限界も失敗も知り尽くしているからこそ
新しい技術を歓迎することができるのだ。
彼らがデジタルでの映画製作を褒め称えるのは
大半が「フィルムでは難だったコレが改善された」
という内容ではなかったか。

だとすれば、これからの監督たちはどうなのだろう。
フィルム撮影を経験していない未来の巨匠たち。

もうひとつ、
撮影監督の魔法がかかるラッシュフィルムは、
フィルムであるからして当然照明を落とした
暗闇のシアターで観るわけで。
監督も役者もスタッフたちも、
その暗闇で初めて映像と対面する。
ところがデジタル撮影の場合、
カットが入るとすぐにモニターでチェック。
もちろん明るい光の中で、だ。

「映画には暗闇が必要だ。
そのようにつくられているのだから」
と言ったのは誰だったか。
映画はもう、
暗闇のためにつくられているとは言いがたい。

映像の仕上がりチェックを
暗闇で行うか、明るい中で行うか。
人によってはそれがどうしたの?
という程度の問題かもしれない。
でも映画を観る暗闇を提供する側の人間としては、
ここがいちばんショックだったりしたのだった。
暗闇のためにつくられたのでない映画を観るためには、
暗闇を欲する必要がないから。
若い人の映画離れの原因は、
実はこういうところに潜んでいるのではないか
とも思ったり(わりと本気で)。

あとはやはりデジタル化により
消えゆく職業があるのだという寂しさ。
これは自分がフィルムを扱う映写業務に
就いているということもあるのだろう。

まあでもこうやって、
いろいろと考えさせられるというのは
良いドキュメンタリーの証拠です。
ぜひたくさんの人に観てほしいと思います。

(mirai)

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