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『ぼくを葬る』は余命数か月のゲイの男性が、
不妊に悩む夫婦の依頼で自分の子どもを遺す話だった。
『Rickyリッキー』はシングルマザーが
新しい彼氏との間に子どもを産むが、
彼女は翼の生えたその赤ちゃんを最後に手放してしまう。

監督の性癖を前提に論じるのは間違っているかもしれないが、
やはり、そこにはパートナーとの子孫を遺すことのできない
同性愛者の宿命から来る、血縁の否定、
それでも、自分の子どもをもつということ、
また、母性への憧れと憎悪、
といった要素がないまぜになっていたと思う。

そして本作。
これも、過去の2作品に通じるテーマが、
より鮮明に浮かび上がってくる。

ジャンキーのカップル、ムースとルイ。
ルイはオーバードーズで死んでしまう。
その時、ムースは妊娠していた。
ルイの家はお金持ちで、ルイと確執のあった母親は
ムースに子供を産むなと諭す。
しかし、ムースは迷いながらも子供を産む決意をし、
身を潜めるように田舎に姿を消す。
そこに、ゲイであるルイの弟、ポールが訪ねてくる。
明らかになるポールの過去。
彼は、ルイとは実の兄弟ではなく、
密かに養子として迎えられた子供だった。

この映画の結末に、
保守的な観客は怒りを覚えるかもしれない。
もちろん、ムースの行動は褒められたものではない。
でも、血の繋がった母子だからといって、
一緒にいて幸せとは限らない。
逆に、赤の他人でも強い絆を築くことはできる。
何より、子どもは母親のお腹から生まれ落ちた瞬間から、
独立した一人の人間なのだ。

この映画の登場人物の行動は、
なかなか簡単には理解できない。
だからこそ、予定調和な物語に慣れた
私たちの感覚を心地よく刺激してくれる。
私は、ムースは子どもをお腹に宿すことで、
「ルイと一緒にいる」という感覚を味わいたかったのだと思う。
しかし、子どもがこの世に生まれてしまえばもう別人。
彼女は子どもの人格を尊重して、
姿を消したのではないかな、という気がしています。

恐らく地味でわかりにくい映画なので
配給が見送られたのでしょうが、
オゾン作品の中でも、もちろん他にひけをとらない傑作です。
ポール役のルイ=ロナン・ショワジーは超男前!
監督の惚れ具合には、思わずにやりとしてしまいます。

(S/N)

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