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上映2週目にはいりました
『ジャン=リュック・ゴダール
+ジガ・ヴェルトフ集団WEEK』→

一週間を終えてみてわかったこと、それは

「この時代のゴダール、人気ない…」です(とほほ)。


「好きな映画監督?ゴダールかな」
「わたしゴダール好き!」

そんな人はたくさんいる(ような気がする)のに、
いわゆる“政治の時代”の
ゴダール作品を観ている人は少ない。
今まで観たかったけど
観る機会がなかったんじゃなかろーか。
(そうだ!と言う人。今回初公開が3本もあります!)
今まで観たことがなかったからこそ
この機会に観てくれるんじゃないだろーか。
そう、思っていたのだけど。
連日なかなかに寂しい客席を
じっと物陰から見つめては(怖い怖い)
おかしいなー。とひとりつぶやくわたし。

なんでゴダールなのにお客さんが少ないのか。
それはやはり、この時代の作品を表す言葉
「政治」が最大の要因と考えざるを得ない。

政治への関心がこの上なく薄い今の日本では
「政治」と謳われるだけで
なんかムツカシソーだぞ、
オモンナサソーだぞ、
ネムソーだぞ、
そう思われてしまうんじゃないかしらん。

私個人の見解ですが、
この時代のゴダール作品にとって重要なのは
「政治」ではなく
「商業映画への訣別」の方だと思うのです。

(なぜ訣別に至ったかというとそこにはやはり
政治への思いが絡んでくるわけなんですが、
まあそれはとりあえずさて置きまして)

商業映画との訣別により、
この時代のゴダールが追い求めたもの。
それは、
〈既存の映画的思考の改革〉と
〈映画言語の実験〉。

これはつまり、
アンドレ・ブルトンによるシュルレアリスムや
トリスタン・ツァラによるダダイスムと同様、
れっきとした芸術運動なのです。

なのに「政治の時代」と簡単に括られ
「政治に関する映画ばかり撮っていた時期」
とだけ認識され、しかも
“だからこそ”敬遠されるという負の連鎖。
ああ。もったいない!

映画というメディアを
とことんまで突き詰めて真剣に考え、
破壊と再構築を試みた映画作家・ゴダール。
その軌跡は映画ファンのみならず
芸術を愛する誰もが観るべきもの、だと断言します。

面白いとか楽しめるとか泣けるとか、
そういった感想自体が
「既存の映画」に付随したものに他ならない。
既存の映画を破壊しにかかったこの作品群を
劇場のスクリーンで体験したとき、
そんな既存の感想以外に
自分の内には何が生起するのか。

それが今回の最大の見どころなのだと思っています。

映画が与えてくれるものを
ただ受け取るためにじっと待つのではない。
映画が与えるものが
自分の内面にどんな作用をもたらすのか。
それを自分はどう感受するのか。
積極的に自分の内へ働きかける鑑賞です。

映画のスタイルの変遷と時期を同じくして
パートナーの女性も変わってきたゴダール。
(いや、パートナーが変わるたびに
作品も変化を遂げるのかもしれない。
ちなみに今回の特集の時代は
〈アンヌ・ヴィアゼムスキー期〉です)
自分の作り上げる映画だけでなく、
自己変革をも目指した男の歴史をひもとく
「ゴダールと女たち」(四方田犬彦・著)を
今回少数ながら販売しています。

ゴダールという男をもっと知るために、
こちらもぜひご一読を。

(mirai)

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