上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
pedal2.jpg

生命が終わったとき、
そしてその人が人々の記憶から
いなくなったときの二度、人は死ぬのだ、
などとよく言われますが
故郷も同じように
記憶から失われた時点で一つの死を迎えてしまう
と言えるのかもしれません。

つまり、故郷にも二通りあって、
第一は、じっさいにその土地の中に入って(帰って)、
その中を生きるものとしての故郷。
第二は、記憶の中にあって、
たとえ土地自体がなくなったとしても
思い出としてその人の中に生きつづける故郷です。

余談ですが、
本作にも出演しているミキ・マノイロビッチが
主演した『アンダーグラウンド』は、
この後者の意味での故郷としての
(今は失われた監督にとっての)
「ユーゴスラビア」を固着化させようとする、
ロマンチックな映画だったのかもしれません。

劇中で、主人公の青年が失ってしまったものは、
おそらく、単なる過去の記憶ではなく
この後者の意味での故郷ではないでしょうか。
ブルガリアよりも人的にも設備的にも
充実しているはずのドイツの病院を
わざわざ抜け出して故郷への旅に出るのも、
彼の祖父が、力が入りすぎではないかと思えるほどに
記憶を取り戻すことにこだわるのもそれゆえなのでしょう。

期待どおり、
彼が生れた地にもどるとほぼ同時に
記憶ももどるのですが、
そのあと彼は故郷をあっさりとあとにして
ドイツにもどってしまいます。
それは、彼が必要としている故郷はもはや
第二の意味での故郷でしかないからでしょう。
この作品は、第二の故郷をめぐる映画なのです。

ブルガリアがEUに加盟したのは2007年。
EUのなかでは最も貧しい国のひとつです。
1人当たりのGDPはEU参加国平均の半分以下で、
失業率は恒常的に10%を超えています。

今後は、より良い職を求めて、
EU内の豊かな国へと移住するブルガリアの人々が
増えていくことでしょう。
彼らは二度と故郷の地を踏まないかもしれません。
第一世代はともかく、
第二世代、第三世代となっていくと
ますます故郷が遠のいていくことでしょう。

そのような外方向へと向いた動きを
止めることはできません。
それは貧しさが原動力となっているからです。
この映画では、イタリアの難民収容施設の食事に
ブルガリアからの亡命者が不満をいう場面がありますが、
その不満は豊かさを求める気持ちと
表裏一体といってよいでしょう。

ブルガリアを出た彼らに、
すぐに明るい未来が開けているわけではありません。
豊かな国とはいっても、
先進国にかつての高度経済成長期のような
勢いと輝きはありませんし、
移民排斥をうったえる政党が
選挙でかなりの割合の議席を得るなど、
移民に対する目も厳しいものです。

そうだとすれば、
ブルガリアを出た移民たちは、
最後のバックギャモンの賽の目が出す奇跡を
どのようにとらえるのでしょうか。
彼らに約束された「人生」などなく、
賽の目のごとく前後の文脈無くして現状が決まってしまう
「人生」を暮しているのだとすれば、
ひょっとしたら、あれは
「ありうる奇跡」に映っているのかもしれません。

そういえば、ブルガリアといえば琴欧洲、
琴欧洲といえばブルガリア。

彼は、もちろん、遠い異国の「国技」に興味をもち、
希望をもって日本にやってきた一人の青年なのでしょう。
けれども、ブルガリアを出て先進国にやってきて、
そこで大成功して、その国で生まれた人と結婚をし、
ついにはその国の国籍もとるであろう
移民労働者としての側面も
彼はもちあわせているはずです。

ぼくの知る限りでは、
琴欧洲はこの映画に対して
公には何ら言及してないようなのですが、
彼はこの映画を観て何を言うのでしょうか。
気になります。

(aka_kappa)

Secret

TrackBackURL
→http://motoei.blog.fc2.com/tb.php/164-b718c760
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。