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過剰にまくしたてたり
演出を凝らしたりしなくても、
伝わるものはちゃんと伝わる。

監督の目線が素敵だ。

映画の中心に据えられているのは
ピナ・バウシュという人でも
コンタクト・ホーフという作品でもなく、
ティーンエイジャーたちの
恐れと葛藤、気恥ずかしさ、
そして自意識からの一歩。

彼らの成長を、挫折や復活などの
いわゆる「ドラマティックな」
場面を盛り込むことなく
(つまり「泣かせようと」せずに)
思いがけずあっさりと描いているのに
観ているこちらには
すべてがまっすぐに伝わってくる。
だから観終わったときには、
彼ら全員を抱きしめたいほどに
なんだか愛おしく感じてしまっている。
もっともっと彼らの人生に触れたくなるし
特にピックアップされていない子たちにも
「君たちはどんなふうに育った?なにが好き?」
とか聞いてまわってみたくなったり。

自意識でガチガチの思春期相手に
自己を解放させて踊らせるのは
さぞかし困難の連蔵だったろう。
簡単に自己を解放できるのならば
思春期があんな苦しいはずがない。
どこまでも根気強く、愛情をもって
全力で本気で指導する
ジョーとベネディクトの姿には、
いまを生きる大人(自覚は薄くても!)として
打たれるものがあった。
ダメな大人のダメなところは、
子どもをナメてかかって
目線を下げて接するところなんだきっと。

そしてピナ。

実はこの映画、ピナはあまり登場しない。
でもほんのわずかなシーンでさえ
その存在感たるやどんな大物俳優もかなわないほどで、
映画全体の根底にピナの存在を感じることができる。
地底の深い深いところに湛えられた水のように。
ピナを描いた映画ではないのに、
やはりピナなしには成立し得なかったのだ。

ひとつの作品をつくりあげてゆく
過程を描いた映画のようでいて、
子どもたちが徐々に自己を解放して
本番では挑発的な視線さえ見せるまでに
なるのを観ていると、これは
〈教育〉を描いた映画なのだと思った。

大人と呼ばれる人たちはぜひこれを観て、
子どもと呼ばれる人たちとの関わり方を考えてほしい。
子育てというだけでなく、社会にあって
若い世代を育てるのは私たちなのだから。

あーなんか説教くさくなった。
ごめんなさい!

(mirai)

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