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緻密に練られた、小説を読んだかのよう。

ちいさな嘘が引き起こす混乱。
池に投げ込まれた小石の波紋は果てしなく広がり、
さんざん波立たせては知らぬ間に収まる。
納得、解決をみせることなく。

アスガー・ファルハディ監督、巧い!
思わず唸ってしまう傑作でした。

この映画をすごいと思ったのは
その語り口の巧さもさることながら、
登場人物と観客が完全に同じ目線に置かれることだ。

観客である私たちは、映画に描かれない以上
エリの素性など知る由もない。
エリが時折見せる穏やかでない表情に隠された意味も
頻繁に気にかける携帯電話の持つ意味も
一泊でどうしても帰らねばならない理由も
彼女はなにを望んでいてなにを怖がっていて
ほんとうはなにを考えていたのかも。

そういった“知らないこと”は通常なら
スクリーンの向こう側にいる
“知っている”人物によりそれを知らされたり、
監督の意図によりうすうす知るような
仕掛けを施されたりするのだが、
この映画にはそれがまったくない。
監督の掌に乗せられているという感じがないのだ。

登場人物は私たちと同じように
実はなにひとつ知らない人ばかりで、
つまり彼らの混乱は私たちの混乱と等しい。
だから観ているうちに
「この後どうなっていくんだろう?」という
第三者的な目線からついつい外れ、
「この後どうすればいいんだろう?」と
まるで当事者のような思考になってしまう。
受身でいるはずの観客という身でありながら
能動的に映画に関わらずにいられない。
彼らが主張を言い合えば自分はどう思うか、
喧嘩すれば誰の言い分に加勢するか頭を巡らせ、
まるで自分も登場人物になったかのようだ。
そのリアリティ!!

事件が起こらなければ
ちいさな嘘はその後に続く幸せへの
布石になったかもしれなかった。
嘘が嘘のままでいられれば世界は平穏なはずだ。

罪のない嘘が生み出す波紋と混乱、
それにより浮かび上がるそれぞれの人間のエゴ。
憶測が飛び交い、不安で焦燥し、
そこから逃れたくて勝手なことを言いだし、
責任を押し付けたり自己保身に躍起になったり。
ここには悪意のある人間はひとりもいない。
どの人物にも共感でき、誰の言い分も理解できる。
スクリーンで繰り広げられているのは、
いつ、どこにでもある、日常だ。

“スクリーンの向こうの日常”に
観る者を能動的に参加させることによって、
この映画は似たような説明で括られる
他の映画とは一線を画しているのだと思う。

もっぺん言いますが、
アスガー・ファルハディ監督、巧いです。
この先ずうっと、この監督の作品は
傑作と呼ばれつづけると思う。

余談ですが…
この映画にはほとんど音楽がない。
クレジットにささやかな、美しい曲が流れるのみだ。
その曲のタイトルは「Song For Eli」。
監督がクレジットに使う音楽を探すのに
まる一日あらゆる音楽を聴いて選んだ曲が、
偶然にもこのタイトルだったそうだ。

こういうエピソード、好きだあ。

(mirai)

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