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©2015 NIKKATSU,So-net Entertainment,Ariola Japan

『知らない、ふたり』2/12(金)まで公開

 「好き」ってほんと、むずかしい。

これは、今回紹介する今泉力哉監督最新作『知らない、ふたり』のキャッチコピーです。サッドティーの例を挙げるまでもなく、いまや今泉監督と言えば、恋愛群像劇の名手と言って問題ないと思うのですが、今回の『知らない、ふたり』や『サッドティー』の「ちゃんと好き」って、どういうこと?というキャッチコピーの通り、「好き」って一体何なのか?という問いを続けてきたのだと思うのです。

誰かのことを好きだけどその想いを伝えることが出来なかったり、恋人がいるのに他の人を好きになってしまったり、なかなか結婚に踏み出せなかったり・・・そんなお互いの想いを“知らない”男女7人の物語が描かれるわけですが、おそらくこの映画を最後まで観ても、「好き」って一体何なのか?という問いに対する答えは、きっと観た人によって違うと思います。

「好きって、伝えればいいってわけじゃないからね」という小風の劇中でのセリフは、この映画の大きなテーマの一つであるわけですが、小風みたいに自分が好きになった人に自分とは好きな人がいたら言わない人もいるし、サンスやジウのように自分の好きだという気持ちを正直に伝える、という人もいる。どっちつかずな人だっているかもしれない。そのどれらも正解でもないし間違いでもない。人それぞれだからすれ違いが起きるし、だからこそ人を好きになるって面白いのだと思います。ぜひ、映画を観終わったあとに考えてほしいです。

最後に、個人的にミンヒョンさん演じる、小風に手紙で告白するサンスが一番面白かったです。その恋の顛末は映画館で確かめていただきたいのですが、ミンヒョンさんの、「二枚目なのにちゃんと三枚目な役が出来る」感じがとても良かったです。今後、サンスのような真面目なんだけどちょっと間抜けな役をもっと観てみたいと思いました。
(肥田)
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冬の光
(C)1963 AB Svensk Filmindustri

ベルイマン『冬の光』


 スウェーデンの冬はさぞかし寒かろう。今回ご紹介するベルイマン『冬の光』は、観ているだけで冷たい空気が身体にまとわりついてくるような厳しい冬の情景を背景に、とある教会で起こる複雑な人間模様を映し出しています。冷え切った身体が堪える寒さの中、思考が鈍ってゆく状況下では、宗教による心の救済も叶わず、むしろその神の不在に対する葛藤が募っていくばかりです。

 この映画の主人公はトーマスという一人の悩める神父であり、心のわだかまりを抱えながらも日々教会を訪れる信者に祈りを捧げています。信者に対して祈るべき存在の神父であるのにもかかわらず、彼は過去の妻の死の悲しみから逃れられず、またその後のあらゆる人間関係に悩まされ、ついには利己的な思考に陥ってしまいます。それは物語が進行するにつれて色濃く描かれていきます。

 神の不在に対する苦悩を描いたこの映画は、プロテスタントの上級階流に生まれながらも、宗教の偽善的な在り方にうまく馴染めず、演劇への道を志すこととなるベルイマン本人の自伝的な映画であると言われています。それゆえにこの映画において宗教というものは、敬虔な信仰によって成り立っているものではなく、むしろ宗教に従事する労働によってかろうじて成立しているようなものとして描かれているようにも見えます。それは宗教の物語を超えた先のリアリズムに希望を見出したベルイマンにとって重要なポイントだったのではないでしょうか。主人公トーマスの精神状態に関しても、利己的といってしまえばそれまでなのですが、この利己的な思考の在り方の先にある精神の自立への渇望と考えることもできるかもしれません。

 またこの映画はごく自然で微細な俳優たちの振る舞いから読み取れるものがきわめて多く、感情的でないシーンほど情報量が多いように感じます。そういった映画全体の質の高さが、静かな映画でありながらも退屈にならない理由なのかなと思いました。

 この映画について多くを語るのは野暮かな、とおもいます。ですので是非とも劇場に観にいらしてみてください。寒い冬にぴったりの映画です。
(舘)
夏の遊び
(C)1951 AB Svensk Filmindustri

1951年、ベルイマン監督は一瞬で散ってしまう夏の恋を描いた。それが『夏の遊び』という作品。原題は"SOMMARLEK"

結婚をとるか夢であるバレリーナの仕事をとるか。主人公のマリーは選択を迫られている(こんな夢と現実をとるか...『バレエボーイズ』でもみたぞ)
ひと夏の恋が90分に凝縮されている。

約60年前の作品。ベルイマン作品を全て見ている訳じゃないけど、初めて見たのがこの『夏の遊び』、爽やかな作品を撮るなと思っていた考えは『第七の封印』で打ち砕かれます。

ひと夏のある思い出。映画はモノクロだが、太陽の光が川に反射してずっとキラキラ光っている。夏に出会った男の名前はヘンリック。彼との恋はあっという間の出来事で潰えてしまう。

なんとも呆気ない。突然の別れを経験した彼女はしばらく何もできずただ呆然としている。

マリーは基本的に自由奔放だ。そんな彼女をみんな好きになる。かえってそれが仇となり、ぽっかりと穴があくのも早い。

しかし、ある男性の言葉で彼女は変わる。
自分に自信を取り戻すよりも、どちらかというと自分を再発見することになる。

最後の踊りのシーンがその彼女の気持ちを物語るような、演出だ。

太陽の光の反射や鏡にうつるマリーの反射、川へ飛び込むと舞台袖から中央へ勢いよく走り込むなど。登場人物の心理描写が動きで表現されているんではないかと思うシーンが多々見受けられる。見ればみるほど違う考えが浮かぶそんな映画だった。もう一度、劇場で見よう。

(芋羊甘)
今回の「イングマール・ベルイマン監督特集」で私が推したい作品は『野いちご』!


※予告編の3作品に加え『夏の遊び』『夏の夜は三たび微笑む』『冬の光』の上映があります。

あのタルコフスキーもオールタイム・ベストに挙げるほどの
言わずと知れた歴史的傑作(!)なんですが、もし未見の方がいらっしゃいましたら
ぜひ、この機会にご覧いただくことをオススメします!

『野いちご』の素晴らしさを
私の語彙力ではとうてい言い表すことはできません。(すみません。)

しかし本作が傑作であることは
冒頭の「悪夢」のワンシーンを見ただけで私にも分かりました。
なので今回は、その興奮だけでもお伝えできればと思っています。

本作の主人公である老医師・イーサクは
ある日、「悪夢」を見ます。

それによってイーサクは死期を悟るわけですが、

この「悪夢」をベルイマンは
見事に映像化してみせました。

『第七の封印』において(多くのフォロワーも生んだ)死神を創り出したように、
ベルイマンの豊穣なイマジネーションは周知の事実だと思います。

本作ではそれが「針のない時計」や「萎んでいく男」などに変わって出てきます。
夢の中の人気がない街は、どこかこの世ではない不穏な空気がまとっており、
次に畳み掛けるように出現する「街灯に引っかかる馬車」がトドメの一撃。
これら一連のシーンが観客に与えるインパクトは本当に尋常ではありません。

映画が始まって10分も経たぬうちに
「傑作」を確信させてしまう作品が、この世にはあるのです!!

もちろん、想像力だけでなく、
小気味良いカット割りや滑らかなカメラワーク、
光と影のモノクロームなど、
映画を映画たらしめる優れた描き方があってこそのシーンです。

ただただ圧倒されます。


様々なテーマを内包した
『野いちご』の魅力はこれだけではありませんが、
今回はとりあえずここまでにしておきます。

『野いちご』観て!!

(斉藤)



映画をつくろうとした者たちがいた。
それは決して平坦な道のりではなかった。
度重なる困難の前に、ある者は怒り、ある者は疑い、ある者は馬鹿にし、
ある者は裏切り、ある者はより輝かしい道のためにそれを捨てようとした。
自分の感情の嵐にそれぞれが翻弄され、チームはばらばらになった。

そして結局、映画はこの世に生を受けなかった。


これは、完成しなかった映画と、関わったすべての人の物語だ。


売れない自主映画監督のサワダは、友人のサナガワと一緒に作った映画でインディーズ映画祭のグランプリを獲得し、賞金の100万円でさらに大きな映画をつくろうと意気込む。そんな折、アルバイトをしている居酒屋でとある小劇団の打ち上げがあり、意気投合したサワダと劇団員は一緒に映画をつくろうと盛り上がる。売れっ子芸人やモデルもいる劇団員の顔ぶれに、サワダの夢が膨らむ。劇団員もそれぞれ、満足できない今の自分の状況を打破するかもしれないと、映画の完成に希望を抱く。ところが順調そのものに見えた映画制作は、進むにつれ徐々に暗雲が立ち込め、ついに中止してしまう…。


登場人物たちと一緒にワクワクし、大丈夫なのかとハラハラし、勝手なヤツらや狡猾な大人たちに腹を立て、歯噛みするほど悔しい思いをし、そしてラストで涙が溢れたあと、まずこう思った。

「“クソ映画”なんてものは、この世にはない」。

どんなにつまらなくても、どんなに退屈でも、1本の映画の裏にはこれだけの思いが、これだけのドラマが隠されている。私にはこの映画の登場人物が、彼らのつくる映画が、まるで地球を救うヒーローのように感じられた。面白い映画が世界を救うのではない。幾度傷を負っても立ち上がり、映画にこれだけの思いを賭けられる者たちだけが、世界を救うことができるのだ。ラストシーンで河原に駆け出すサナガワの目に光ったのは、その希望だった。

私は映画が好きだ。素晴らしい映画に出会うたび、その思いを新たにしてきた。『7s』もそうだ、というのではない。この映画は、私が長年抱え続けてきた「好き」に、果てしなく高温の“熱”を吹き込んできた。私の「好き」は、こんなにも熱い手ざわりだったのか、胸を灼くほどの激しさを持っていたのか、と気づかせてくれた。

映画を愛する人たちすべてに、この映画を観てもらいたい。自分の裡で冷えて固まって形骸化している「好き」に、もう一度ガソリンを注ぐために。長年連れ添って見飽きた伴侶と出会った頃のトキメキをリアルに再現するほどのインパクトを、私が約束する。

(mirai)

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