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やってきました芸術の秋!映画の秋!!
10月もいろんな映画を取り揃えて
みなさんのお越しをお待ちしてます。
なお、10/13(土)〜19(金)の期間は
ビル2Fの改装工事のため昼間の上映を休みます。
夕方・夜は通常通り上映ありますので
よろしくお願いします。



9/29(土)~10/19(金)
籠の中の乙女

ギリシャ期待の新鋭による
カンヌ「ある視点」グランプリ受賞作。
ギリシャ郊外の裕福な家庭。
実はこの家の子どもたちは
敷地から一歩も外に出たことがなく、
家庭内には奇妙なルールが設けられている。
芽生え始めた外界への好奇心は
彼らにどんな結末をもたらすのか?
公式サイト→




9/29(土)~10/19(金)
プンサンケ

ベネチア映画祭で新作が金獅子賞を獲得した
韓国の鬼才キム・ギドクが
製作総指揮・脚本を手がける衝撃作。
命がけで38度の境界線を越え、
依頼品を運ぶ「プンサンケ」と呼ばれる謎の男。
北と南の思惑に利用されたプンサンケのとった
予測不可能な行動とは?
公式サイト→




10/6(土)~10/12(金)
モトマチセレクションvol.12
追悼テオ・アンゲロプロス

第五弾|ユリシーズの瞳 こうのとり、たちずさんで

アンゲロプロス特集もいよいよ終盤です。
第五弾はカンヌでグランプリを受賞、
アンゲロプロスの最高傑作と謳われた
『ユリシーズの瞳』、マルチェロ・マストロヤンニや
ジャンヌ・モローなど名優たちが競演する
『こうのとり、たちずさんで』を上映。
詳細→



10/20(土)~10/26(金) ※一週間限定
モトマチセレクションvol.14
ひとつのかぞく、ふたつのくに

《ヤン・ヨンヒ監督特集》
かぞくのくに ディア・ピョンヤン 愛しきソナ

今夏大ヒットした『かぞくのくに』が
米アカデミー賞外国語映画賞
日本代表に選ばれたのを記念し、
『かぞくのくに』に加えて監督の前作である
ドキュメンタリー2作を特集上映します。
初日ヤン・ヨンヒ監督の来館も決定!
詳細→



10/20(土)~11/2(金)
画皮 ~あやかしの恋~

BSドラマでも人気を博した
中国清時代の怪異譚の一篇を基に、
人間に恋した美しき妖魔と
妖魔に魅入られた男とその妻の物語。
美形ぞろいのキャストにアクションも
見応えたっぷり!!
公式サイト→




10/20(土)~11/9(金)
イラン式料理本

新婚夫婦のキッチンからベテラン主婦の台所まで、
さまざまなイラン女性が披露する
さまざまなメニュー。そこから浮かび上がるのは
男女、嫁姑、家族の姿とイラン社会の今と昔。
きっと家族が、人生が、愛おしくなる!
公式サイト→




10/27(土)~11/2(金)
モトマチセレクションvol.12
追悼テオ・アンゲロプロス

第六弾|永遠と一日 エレニの旅

アンゲロプロス特集もこれが最後。
第六弾は名優ブルーノ・ガンツを迎え
カンヌでパルムドールを受賞した『永遠と一日』、
時代に翻弄されつつ一途な愛を貫いた
孤児エレニを描いた『エレニの旅』を上映。
詳細→



10月もたくさん映画と出会ってくださいね。
お待ちしてます!

(mirai)

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複雑な構成とよく練られた伏線で
上質のミステリーを読み終えたときのような
陶酔感を味わえる秀作だ。

主人公ソニアが客室係として働くホテルで
ショッキングな出来事の目撃者となる冒頭。
ソニア同様に観客をもはげしく動揺させる
演出が巧みで、一気にひきこまれた。

いったい何が起ころうとしているのか、
期待というより不安を胸に
なりゆきを見守るしかないのだが、
矢継ぎ早なシークエンスの展開と
意味深な会話に、一時も気がぬけない。

グイドと出会い、惹かれ合い、
強盗事件にまきこまれ…と
時間軸に沿って進行しているのかと思いきや
半ばちかくでそれまでソニアが
昏睡状態にあったことが明かされて、
こちらの時間認識もぐにゃりとゆがむ。

どこまでが現実に起きたことだったのか、
あわてて記憶を巻き戻している間にも
デジャヴュのような出来事が次々に起きて
ソニアの困惑や混乱を共有するが、
そのソニアもまた謎めいた人物であり、
そのことが観客にとっては
重層的に仕掛けられた罠となって
思考の堂々巡りに陥ってしまうのだ。

遡ればソニアとグイドの出会いも
どちらかが仕組んだことだったのか。
考えるほどに真実は遠のいて
真相(らしきもの)までが疑わしく見えてくる。

二度三度と観ることがかなうなら、
まだまだ別の伏線が隠されていそう。
ミステリー好きは見逃すべからず、な1本。

(ゴマ)

sandai2012_ildivo.jpg

消費税増税法案の採決をめぐる
民主党内の攻防が激しかった頃、
多くのスポーツ紙や夕刊紙の見出しに
「野田」ではなく「小沢」という字が躍ったのは
その方が売れ行きが良いからだそうです。
脇で「観戦」している市民たちにとっては、
清廉そうな現役の首相よりは、
党内の権力争いや怪しいお金の匂いがする
悪役の小沢一郎の方がおもしろい存在なのでしょう。

でも、そんな小沢一郎や、あるいは今「重鎮」などと
批判の意味を込めて言及されている自民党の面々
といったベテラン悪役政治家たちも
昭和の政治家を知る人たちからすれば
小粒にみえてきます。

岸信介や佐藤栄作、田中角栄、あるいは児玉誉士夫
(彼は政治家ではないけれど)なんかは、
悪いことをしているだろうってことは
誰もが知っているけれども、
それが政治的権力を失う原因にはならない、
いわば、赤信号を平気で渡ることのできる人たちでした。

『イル・ディーヴォ』の主人公
ジュリオ・アンドレオッティも、
日本で言えばこの田中角栄たちに比肩するような
横綱級の「悪い」政治家です。

そういえば、昭和を代表する
「悪そうな顔の政治家」である岸信介は
「妖怪」と呼ばれていましたが、
この映画のアンドレオッティも
耳がとんがっていてどこか妖怪を思わせる風貌ですね
(トニー・セルヴィッロが特殊メイクで演じています。
日本でいえば役所広司が特殊メイクで
田中角栄を演じる感じでしょうか)。

映画の冒頭には、
『コッド・ファーザー』ばりのカットバックで
殺害・自殺場面が次々と映し出されますが、
その死の真相を探究しようとすると
アンドレオッティの名前が出てくるものばかりです。

銀行家のロベルト・カルヴィや
ミケーレ・シンドーナは、
彼とバチカン、マフィアの間での
お金の流れに関わっていたとされていますし、
弁護士のアンブロ・ゾーリはこの関係に
深く首を突っ込んだために殺されたと言われていますし、
ジャーナリストのミーノ・ペコレッリは
彼とモーロ首相の暗殺との関係を調査していたことを
理由に殺害されたと言われています。
国家治安警察のカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザや
司法官のジョヴァンニ・ファルコーネが
反マフィア活動の途上で暗殺された背景にも
彼とマフィアの関係があったようです。

そして、モーロ元首相の拉致・殺害という
大事件においても、当時首相であったアンドレオッティは、
(いろいろな事情が交錯するなかで)
拉致をしたグループとの交渉において、
党内でも路線が異なっていて競合関係にあった
彼の生命の安全を優先してこなかったと言われています。

これだけでもうお腹いっぱいな位の情報量なのですが、
この映画で描かれている彼の状況を理解するためには、
所属するキリスト教民主党内部の派閥争いだとか
冷戦だとか戦後の既存政党の崩壊過程とか
米国やNATOの謀略活動との関係なども
知らなければなりません。
海外公開時にこの映画がイタリア以外では
ヒットできないと言われたのも無理はありません。

映画は1991年4月に彼が新内閣を発足させる頃から
1994年の5月に彼がマフィアとの共謀で
起訴されるあたりまでを中心に扱っています。

ちょうどこの時期は、
イタリアの政治システムが大きな変貌を遂げる頃で、
『汚職都市(タンジェントポリ)』と呼ばれる
政界を中心とする大規模な汚職摘発捜査により
既存政党の大物議員がぞくぞくと捜査対象になり、
それも相俟って、それまで政治の中心を担ってきた
キリスト教民主党、社会党、共産党という三大政党が
全て解体されるという劇的な出来事が起きました。

アンドレオッティは、旧体制を代表する人物で、
中盤に彼が大統領を目指すのも、
旧体制の維持を試みる最後の抵抗でした。
しかし、彼の抵抗も(劇中でも示されるとおり)
彼の(マフィア担当と言われた)腹心
リーマ欧州議会議員が暗殺され、
さらに反マフィアの先頭にいた
ファルコーネ判事が暗殺され
新体制の構築を望む世論が盛り上がるなかで、
あえなく潰えてしまいます。

権力者の落日、体制の崩壊、新時代の幕開け。

激動の時代の中心点にいた彼の物語は
映画には格好の題材のようにみえます。
しかし、この映画の監督パオロ・ソレンティーノは
題材がもつドラマ性の強さをほとんど生かしていません。
ドラマの定石である、内面での葛藤や
個人より大きなものとの対峙などの
「衝突」を描いていないのです。

コッポラならきっと『ゴッドファーザー』のように
権力者の孤独を哀愁たっぷりに描いたでしょう。
スコセッシなら『カジノ』のように時代の移り変わりと
厳しい政界の掟にはあらがえない
個人の弱さを前面に出したかもしれません。

ソレンティーノ監督は、アンドレオッティの
内なる面の描写には力を入れません。
結局最後まで彼が何を考えているのかは解らないのです。
彼の小さな体躯や独特の口調も作用してるのでしょうか、
彼は人間ではなくまるで人形のようにみえます。

監督は彼一流のなめらかでのびのびとしたカメラワーク、
スタイリッシュな画と音を使って
その人形の横に花を添えるのです。
その花は薫りがただようふくよかな生花ではありません。
硬質で繊細な技巧を凝らした造花です。

佐藤久理子は、ソレンティーノ監督の最新作
『きっとここが帰る場所』の
パンフレットのなかでこう述べています。

「彼の作品を通して観ると、パンを多用した
流麗なカメラワークが多いことに気付くだろう。
ときにそれはやや技巧方にもなりがちではあるものの、
その動きが醸し出す不思議なリズムと浮遊感は、
しばしば周囲に馴染めない、または馴染まない
孤高の主人公の内面とシンクロし、
静かながらも饒舌にその心情を物語る。」

ぼくがみるところでは、『イル・ディーヴォ』の
ソレンティーノ演出がみせたのは
物語でもなくドラマでもなく詩情です。
結局、彼が何を考えていたのかはわからない
(彼は96歳で健康に不安を抱えながらも存命中です)。
ならば、そこは曖昧にして
詩情としてあらわせばいいのではないかと、
監督はそう考えたのではないでしょうか。

それを描写の放棄として批判することは簡単です。
たしかに、アンドレオッティは、
あまりにも多くの出来事を身にまといすぎている
大ネタすぎたのかもしれません。
ただ、コッポラ的な「哀愁」や
スコセッシ的な「個人の弱さ」では
どうしても出てきてしまう嘘くささ
(個人の内面など所詮外部の者には解らないのです)
を乗りこえる試みとしては
とても面白いと感じました。

(aka_kappa)

kago_otome1.jpg

ギリシアの新鋭は、
ラース・フォン・トリアーよりは真面目、
ミヒャエル・ハネケほどインテリではなく、
ウルリッヒ・ザイドル
(『ドッグ・デイズ』という映画をご記憶でしょうか?)
よりは優しい。
そして誰よりオシャレ。

しかし、私が有権者に訴えたいのは、
彼が見事この「人を嫌な気分にさせてナンボ」系監督の
仲間入りを果たした、ということだ。

まぁ、テレビでは放送できない(ご注意、本作はR18です)。

郊外の一軒家で、両親と長男、娘2人で暮らす家族。
子どもたちは、実は一度も家の敷地外へ出たことはなく、
外部とのつながりを遮断されて育っている。
家のすべての采配をふるうのは父。
年頃の長男には会社の守衛の女の子をお金で雇い、相手をさせる。
家の中には独特の言語体系があり、
悪い言葉などは別の意味を教えられる。
子どもたちが良いことをすればシールを与え、その数を競わせる。
母も何でも父の言いなりだ。
しかし、母や子どもたちはあくまでも父に従順だ。
そう、守衛の女の子が、長女の性への興味を
利用する見返りに渡したビデオを、長女が見てしまうまでは。

ビデオを見てから、長女は俄然外の世界に興味を持ち出す
(ちなみに、ビデオの中身は映画。何の映画かは
長女の行動を見ていればわかります)。
そして、「犬歯が抜けたら大人だ。外に出られる」と言う
父の言葉を信じ、とうとうある行動に出る…。

厄介なのは、父があくまでも、
すべてを家族のために「良かれ」と思ってやっていること。
映画の世界は行き過ぎだが、私たちの世界でも、
いじめ問題などがこれだけ連日報道されるなか、
「無菌状態で育てたほうがまし」と思う親はいるだろう。
しかし、この映画が悲劇で終わるように、
それではいつか破綻する。

もしかしたら、監督はマッチョな父親の権威が
失墜しつつあるこの家族に、
経済危機で破綻していく祖国をも重ねているのかもしれない。
痛烈な批判と風刺は目に痛いが、だからこそ効く。

映画の中で、父親が訓練施設に預けた犬を見舞う場面がある。
犬は、父親が呼んでも応えない。
自分の子どもたちを犬のようにしつける父親だが、
本物の犬は父親の本性を見抜いていた――
そんな皮肉なシーンが印象に残った。

(S/N)

sandai2012_tokino.jpg

※ネタバレと思われる部分があります。
未見の方はご注意ください。※


タイトルは意味不明だが、
何重にも伏線が張られたミステリーである。

つじつまの合わないことが起こって
最後に《全部夢でした》という映画だったら
ダサイのであるが、これは違う。
途中《夢》だという種明かしがあるにもかかわらず、
その先にまだなぞなぞがあるのだ。

ソーニャはリュブリアナ
(旧ユーゴスラビアのスロベニアの首都)から
イタリアのトリノにやってきた女性で、
ホテルの客室係をしている。
彼女はスピードデートという出会いの会で、
グイドという男と意気投合する。
彼は元警官の警備員である。
彼が警備を担当している豪邸でデート中に
強盗に襲われ、気を失ってしまうソーニャ。

ここからソーニャが体験することは
入院中で見た《夢》ということになるのだが、
《夢》の中に真実もあるという。

グイドはソーニャと豪邸でデートする時だけ、
警報装置をはずしていたのはなぜか?
その日に限って強盗団が現れたのはなぜか?

行ったことがないブエノスアイレスで撮られた
ソーニャとグイドの2ショット写真。
ソーニャはなぜスペイン語の勉強をしているのか?
ブエノスアイレスはスペイン語圏だ。
客室係の友人マルゲリータは
飛び降り自殺した客の話をした時、
「自殺するなら睡眠薬よ」と言ってたのに、
そのマルゲリータが飛び降り自殺したというのはなぜか?
殺されたのか。

ともかく、生きていたグイドとソーニャ。
ふたりの愛の行方は…というような甘いお話は、ないのだ!
びっくりしてしまう。
見なきゃ判りませんよ。

(なまけネコ)

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