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世間はGWに突入ーーー!!!
みなさんどんな休日を過ごしてますかー?
(わたしは休みなくはたらいてまーす!)
せっかくのお休み、アソビも良いけど映画もね!
5月の元町映画館もアツいよー!!



5/5(土)〜6/1(金)
『別離』
イラン映画史上初のアカデミー受賞、
さらにベルリンでも史上初の3部門独占の
上半期いちばん(断言)の注目作!




5/5(土)〜5/11(金)※一週間限定!
『実演!淫力魔人/イギー&ザ・ストゥージズ』
ゴッドファーザー・オブ・パンク!
裸の魔人イギー・ポップ&ザ・ストゥージズによる
アルバム『淫力魔人(RAW POWER)』の全曲実演!
驚愕の[完全日本語字幕]を搭載、歌詞、MC、嗚咽等
すべてを日本語で表現する恐るべき字幕!


★5/6(日)スペシャルトークイベント
「モーレツ!イギー狂室!!」

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〈画:キング・ジョー〉
ゲスト:安田謙一(ロック漫筆家)×キング・ジョー(画家、DJ)



5/12(土)〜5/25(金)
『第九軍団のワシ』
名将フラビウス・アクイラが指揮を執る
ローマ軍最強といわれた第九軍団5000名の兵士が、
ある日北の荒野で忽然と姿を消した…。
原作小説の人気も高い、歴史ミステリーの傑作!




5/19(土)〜5/25(金)※一週間限定!
『実演!バグ/ダイナソーJR』
ファン激撮・実演シリーズの第2弾は
アメリカン・オルタナティヴ・ロックシーンを
代表するバンド、ダイナソーJR!
無気力大王の異名をとるJ・マスシスの姿を激撮!
もちろん[完全日本語字幕]を搭載!



5/26(土)〜6/15(金)
『レイトオータム』
霧の町・シアトルを舞台に、
追われる男と哀しい女が運命的に出会った—。
ドラマでも人気のヒョンビン主演作!




5/26(土)〜6/1(金)※一週間限定!
『傷跡』
映画人を育成するワークショップ
「映画24区」から誕生した第1回製作作品。
『非・バランス』の冨樫森監督が、
過去の傷と向かい合おうとする女性の姿を描く。




5/26(土)〜6/1(金)※一週間限定!
『らもトリップ』
著作小説のオムニバス映像化と
関係者インタビューから映画を構成し、
“中島らも”をとことん味わい尽くす
「アーティスト体感映画」が誕生!


★5/27(日)スペシャルトークイベント
ゲスト:鈴木創二(「中島らも烈伝」著者)
    中島美代子(らも夫人)
    八幡英一郎(級友「Yくん」)

伝説の「ちくわ投げ」もやっちゃいます!
(提供:カネテツデリカフーズ)


映画観て5月病なんか吹っ飛ばせー!!
お待ちしてます!

(mirai)
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tetro2.jpg

それにしても映画のタイトルに
変なサブタイトルつけるのそろそろヤメにしませんか。
(サブタイトルにイラッとさせられ観逃すことも多々)

テトロにも「過去を殺した男」なんてのがついてるが
いやそれは良く言い過ぎでしょ。「過去から逃げた男」でしょ。
臆病にも過去から逃げ回って(捨てるほどの覚悟はない)
恋人や弟たちの手を借りて過去と向き合い受容し、
過去の上に未来を築いてゆくことにした男の話。だもん。
そして臆病な男と言えばのヴィンセント・ギャロ!

恋人のミランダや弟ベニーをはじめ、
周りの人物がとても魅力的。
それがテトロのだめさをさらに引き立てていて
どんどんだめに見えてくところに
やっぱりギャロがハマる。
臆病が故に威嚇の鎧を身に纏うに至った
トカゲのような俳優だなあ、と観ていて思う。

(話が逸れたがサブタイトルはいらないって言いたかった)

『ゴッドファーザー』なんかは
同じく家族をテーマにしていても
もうちょっとなんとゆーか大きい話で
ぼんやりと全体を眺めていることしか
できなかった私であったのだが、
これは小っちゃい。小っちゃーい話だ。
しかし小っちゃいが故に世界は広がらず、
深く深く潜り込む方向に動くので
個々人の思いがよく見えて共感できたり
出てくる人物を好きになれたりして
こういう方がわたしは好きだ。

いやはや傑作ですよ。

実際スクリーンで観てみると
なぜモノクロームで撮ったのかがよくわかる。
モノクロームならではの美しさを
カメラが表現しているだけでなく、
これは「光」と「闇」の映画なのだ。

ここでは光は鋭く残酷なものとして描かれ、
闇はどこかあたたかく優しい。
それは父の威光に傷つき恐れをなして
闇に身を隠し光から逃れようとする
テトロの感性そのままなのだけど、
すべてが融解するラストシーンでは
滲んだ光があたたかくスクリーンを埋める。

ライティングに凝った映画は数あれど、
ここまで光と闇に人生を語らせた映画は
果たしてあっただろうか?
ないとは言えないがわたしは知らない。
知らないのでその表現にただただ感動してしまった。
すごい。

瞳を射抜く光の鋭さを、
体温さえ感じられる闇の安心感を堪能するには
絶対にテレビの画面では足りない。
映画館で観せるための映画づくりをしている、
さすが巨匠フランシス・フォード・コッポラ!

(mirai)

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この名作は、フランシス・フォード・コッポラ御大の
『ゴッド・ファーザー』『地獄の黙示録』に連なる
エディプスコンプレックス“父親殺し”モノである。

御大ご本人のお父上は偉大な音楽家であったらしい。
御大もインタヴューなどで
「実際に起きたことではないが、すべて真実だ」
と言っているように自伝的な作品であるらしい。

しかし、父を殺すどころか
アンジー(=コッポラ御大)は父から逃げる。
(こういうダメダメな情けない男を演じると
ヴィンセント・ギャロの右に出るものはいないすよね)
テトロという偽名も本家テトロチーニの
名前を捨てたとも思えない。
総て捨てる気ならもうちょっと全然違う名前にするだろう。

御大は気持ちの中では、これだけ有名になっても
父を超えれたのか不安なのではないか?
自分が家から遠く逃げてもその想いは残ったままなのだ。

映画の中でその想いが色濃く出ているのは
偉大な父に「天才は一人で良い」と言わせるところだ。
残酷な言葉である。
もう呪縛である。

御大はそれを超えようと『ゴッドファーザー』や
『地獄の黙示録』を周りから狂人と呼ばれようが、
撮る必要があったのだろう。
そして本作『テトロ』のエンディングで
とうとう乗り切ったのではなかろうか?
「父殺し」ではなく、ポジティヴに。
父と息子がガッチリと。

「父殺し賞」をもらわなかったのも、
孫に祖父殺しをさせた意味も
いろいろと深いものがあり、考えさせられる。

それはコッポラ御大も
子どもたち(ソフィア、ローマン)や
甥(ニコラス・ケイジ)との関係で
明るい未来が見えたのかも?
と思ってしまうのは、浅はかだろうか。
いや、そんなほっこりした
コッポラファミリーになった事を私は望む。

そういう意味では、
この『テトロ 過去を殺した男』は
『ゴッド・ファーザー』や『地獄の黙示録』以上に
プライベートであり
コッポラ御大には重要な映画である。
しかも名作である。

しかし、何故に御大のこの名作
(しかも『地獄の黙示録』らに
繋がる映画であるにも拘らず)を
メジャー映画館で上映出来ないのか?

難解さはそれほどなく、
オチやミステリー度も
解り易い部類に入るのではないかと思う。
配給のせいなのかメジャー映画館のせいなのか?

あまりにも元町映画館で上映など
勿体ないというか、おこがましいというか
御大に失礼過ぎるのではなかろうか。

これほど映画らしい映画は最近にはないに等しい。
映画館で上映しないと映画ではない。
映画館はもはや映画館ではなくなっているのか。

この映画は私たち、
アメリカンニューシネマで育った世代には、
めちゃめちゃおもしろく、
興味のある映画ではないだろうか。
「これが映画だ!」と
御大の声が聞こえて来るほどの、
細部にも美的にもこだわった、
私たち世代には堪らなく
愛おしい映画であることは間違いない。

フランシス・フォード・コッポラ。
御大、健在なり。

(おもしろ)

tetro1.jpg

「なぜ、こんな傑作が
きちんとした形で公開されないのか?
迫力と風格を兼ね備えた、
残酷で美しすぎるモノクロームの映像は
劇場でなければ「観た」とは言わせない!!」
/元町映画館スタッフ

まず、いま元町映画館の前に出してある
『テトロ』のポスターに張ってあるこの言葉。

かつて今までにスタッフが
こんなにも熱くなったことはあったであろうか。



『テトロ/過去を殺した男』


美しい。

この一言に尽きる。

圧巻のカメラワークと光の演出。
モノクロだからかそれらがいっそうに引き立つ。
映画から滲み出る貫禄にもはや感嘆するほかない。
鏡、光を見事にあやつり、
時に美しくも、スリリングにも演出された
カットすべてが一枚の絵のような芸術作品。

スクリーンを存分に使った絵がすばらしすぎる。
ラスト30分、クライマックスのあの見せ方!!


さすが巨匠、コッポラ監督。


ヴィンセント・ギャロの醸し出す
絶妙な雰囲気がたまらなく良い。

そして次世代のディカプリオといわれる
新鋭アルデン・エーレンライクの
柔らかな笑顔に見え隠れする悲しみに満ちた眼差し。
彼が見せるいくつもの表情に何度翻弄されたことか。


物語はいたって普通のべたな内容なのに、

なぜだ!!!!!!

なぜこんなにもおもしろいのだ!!!!!


話の運び方、見せ方、音楽の使い方、
呼吸ひとつとっても抜かりない。

巧い!!

(もういちど言わせて)

巧い!!!


褒めても褒めても褒め足りない。


絶対に見逃してはならない作品だ。

(エ)

pina2.jpg

過剰にまくしたてたり
演出を凝らしたりしなくても、
伝わるものはちゃんと伝わる。

監督の目線が素敵だ。

映画の中心に据えられているのは
ピナ・バウシュという人でも
コンタクト・ホーフという作品でもなく、
ティーンエイジャーたちの
恐れと葛藤、気恥ずかしさ、
そして自意識からの一歩。

彼らの成長を、挫折や復活などの
いわゆる「ドラマティックな」
場面を盛り込むことなく
(つまり「泣かせようと」せずに)
思いがけずあっさりと描いているのに
観ているこちらには
すべてがまっすぐに伝わってくる。
だから観終わったときには、
彼ら全員を抱きしめたいほどに
なんだか愛おしく感じてしまっている。
もっともっと彼らの人生に触れたくなるし
特にピックアップされていない子たちにも
「君たちはどんなふうに育った?なにが好き?」
とか聞いてまわってみたくなったり。

自意識でガチガチの思春期相手に
自己を解放させて踊らせるのは
さぞかし困難の連蔵だったろう。
簡単に自己を解放できるのならば
思春期があんな苦しいはずがない。
どこまでも根気強く、愛情をもって
全力で本気で指導する
ジョーとベネディクトの姿には、
いまを生きる大人(自覚は薄くても!)として
打たれるものがあった。
ダメな大人のダメなところは、
子どもをナメてかかって
目線を下げて接するところなんだきっと。

そしてピナ。

実はこの映画、ピナはあまり登場しない。
でもほんのわずかなシーンでさえ
その存在感たるやどんな大物俳優もかなわないほどで、
映画全体の根底にピナの存在を感じることができる。
地底の深い深いところに湛えられた水のように。
ピナを描いた映画ではないのに、
やはりピナなしには成立し得なかったのだ。

ひとつの作品をつくりあげてゆく
過程を描いた映画のようでいて、
子どもたちが徐々に自己を解放して
本番では挑発的な視線さえ見せるまでに
なるのを観ていると、これは
〈教育〉を描いた映画なのだと思った。

大人と呼ばれる人たちはぜひこれを観て、
子どもと呼ばれる人たちとの関わり方を考えてほしい。
子育てというだけでなく、社会にあって
若い世代を育てるのは私たちなのだから。

あーなんか説教くさくなった。
ごめんなさい!

(mirai)

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